在“嘭”的一声之后
2014-11-27 胡金一 花样滑冰资讯
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“ドン”という音の後
11月8日、フィギュアスケートグランプリ中国大会。男子シングル、フリープログラム第2組の6分間練習であの事故が起きた後、初めて闫涵(イェン・ハン)と会ったのはバックヤードの通路だった。そのとき彼はチームドクターとコーチに両脇を抱えられ、覚束ない足取りで医務室の方へ向かっていた。首にはまだ拭いきれない血の跡が―。
「大丈夫、大丈夫」と言いながら、ふらつく体を支えるのに精一杯だった彼は、コーチにスケート靴を脱がされ再び歩き出すと頭を上げて尋ねた。
「試合は?」
次に彼に会ったのはそれから2週間後のことだ。
バックヤードでの出来事を持ち出してみたが、全く記憶にないと言う。あのときの一部始終について明言を避けたがっているという様子ではない。それどころか、衝突時の映像を自らVTRで確認した節がある。混濁する意識の中で唯一脳裏にあったのは、試合に出なければならないという執念だけだったのかも知れない。
今年、イェン・ハンのグランプリ2戦での成績は6位と8位。
シニア・デビューでいきなりファイナルに殴り込みをかけた去年の快進撃を思えば、落差の大きさは否めない。しかしイェン・ハンは言う。グランプリ・シリーズは調整と緩衝剤の役割、それによって一番大事な試合にコンディションのピークを持っていけると信じている、と。
一問一答
― 今回起きた事故は少なからず試合結果に影響したと思うが、自分にとってはショックだったか?
「事故が起きたことで、その後の何かに影響したと言うことはありません。だからショックと言う言葉は当てはまらないと思います。精神的なダメージもないし、強いて言えば体に痛みが出たことくらい。これを挫折のひとつとして捉えるつもりはありません。ただ、思わぬハプニングが起きただけだと思っています」
― あのとき何が起こったか思い出せるか?
「僕たちは2人共後ろ向きに滑っていてスピードもかなり出ていました。あのグループの中でもともと僕と羽生選手は一番スピードがある選手。だから衝撃もより大きかったのだと思います。事故の後、これからはもっと気を付けなければならないと気を引き締めるようになりました。普段練習しているときは、コーチが僕に優先的にリンクを使わせてくれてたし、チームメイトが滑る軌道もお互い熟知していました。きっと羽生選手も同じ境遇なのだと思います。だから周囲に気を配ることに慣れていなかったような気がします」
― ぶつかった後、最初に思ったことは何?
「真っ先に感じたことは、顎の感覚がなくなった、ってこと。コーチの顔を見たら眩暈がしてきて、そのまま地面に倒れ込んでしまいました」
― 羽生より先にリンクに起き上がったね
「あのときはとにかく急いでリンクの中央から離れて、端っこに寄らなきゃと思ったんです。まだ6分間練習が続いていたし、他の選手もぶつかってきそうで怖かったから。それにみんなのウォームアップを邪魔しちゃいけないと思いました。だから必死でリンクサイドに戻って、リンクから降りた後、倒れ込んだんです」
― 地面に倒れ込んだとき、たくさんの人が周囲に集まっていた。あのとき意識はあったのか?
「意識はありました。でも視界は朦朧としてました。顎全体の感覚が全て失われた感じがして、話をしたくても顎をどう動かしていいかわからなかった。実際、動かせなかったのかも知れません」
― 控室に戻った後は?
「うちのコーチとチームドクターが医務室に連れて行ってくれて、止血と応急処置をしてくれました。一番心配された骨折の所見はなく、僕はただずっと横になったままでした」
― リンクではその後再び6分間練習が始まっていた。当時そのことは?
「知ってました。僕はそのときテーピングを巻いたり検査をしている最中で、でも試合に出るかどうかはまだ決断を下していませんでした」
― 試合に出ようと決めたのはいつ?
「意識がはっきりし始めたとき。治療が終わってベッドに起き上がり、その後立つことができたので控室に戻りました。その途中でやっぱり試合に出たいと思ったんです。実を言うと、衝突した後は頭の中が真っ白にはなったんですが、みんなが思っているほど痛みはなかったんです。あの日は本当に痛みを感じませんでしたね。激しい痛みを感じたのは、翌日になってからでした。おそらくあの日は試合特有の緊張感があったから、脳も試合に集中していて痛みを感じなかったんだと思います。僕はコーチに試合に出場させてほしいと頼みました。連盟は既に僕を棄権させることを決めていて、ISUに連絡をしている最中でした。でも僕が試合に出ると言ったので、彼らはまた慌ててISUのところに戻ってもう一度説明をしてくれました。そして最終的に出場の許可が下りたんです」
― 正直言って試合に出られるような状態ではなかったはず。出てもいい結果は得られない可能性は高かった。それなのにどうして強行出場に踏み切ったのか?
「ここは僕のホームだぞ、中国なんだぞ。そう思ったからです。素晴らしい演技はできないかも知れないけど、どうしても滑りたかった。僕の演技をみんなに見てもらいたい、その一心でした。結果はどうでも良かった」
― 滑走中は、気持ちはあるのに体がついて行かない、と言う風に見えた。
「頭の中はからっぽで、何一つ覚えていないんです。完全に無意識の状態でした。潜在意識の中にある何かがスケーティングを支えていたのだと思います。”最後まで滑り切るんだ”、自分にそう言い聞かせていました。スピンに入るともともとクラクラしていた頭がますますクラクラして、それでもスピンを続けなければいけませんでした。スピンをやめたら、その場で突っ立っているほか、何もすることがなくなってしまいます。だから回り続けるしかなかった」
― 北京に戻った後、再び検査を受けた。フランス杯に出場しようと正式に決めたのはいつ?
「フランスに発ったのは火曜日で、最終決定は前日の月曜日。衝突の後、初めて氷上で本格的な練習したのが月曜だったんです。それまでは一週間ずっとベッドに寝た切りでした。出発の前の週の土曜日、初めてスケート靴を履いてリンクに乗って、日曜日は1日オフ、月曜日にもう一度リンクに乗って、火曜日は夜の出発だったので日中はリンクで滑りました。合計4回リンクで練習しただけでフランス杯に臨むことになりました」
― じゃあフランス杯に出発する前、自分にできる演技はどんなものか考えてみた?
「何も考えていません。ただもう一度戦いたいと思っただけです。ケガも大したことはなかったし、どんな内容であれ出場しようと思いました。棄権は絶対したくなかった。一番重傷なのは筋肉の損傷だったので、チームドクターは正直出場を勧めなかったけど、僕はチャレンジしたしかったんです。体力的にもショートプラグラムなら滑り切る自信があったので、とにかくショートでいい演技がしたかった。フリーに臨むかどうかはショートプラグラムの後で決めればいいと思っていました。それにフランス杯に行って試合の感覚を取り戻したいという気持ちもありました。今年は試合数が少なくなってしまったことがわかっていましたから」
― 衝突事故の後はフィギュア・ファンの間で色々な憶測が飛び交い、君はブログ上に潔白の弁を掲載した。悔しかった?
「悔しくはありません。ああいう憶測をするのはフィギュアスケートのことをあまりよくわかっていない人たちだと思っただけです。そんなに早く反応するのは不可能なこと。あのとき僕等はお互いの死角を滑っていて、振り向いたときには距離が30センチくらいまで迫ってました。あのとき両手を上げて身を守りましたが、その反応は早かったですね。でもそれは後からビデオを見てわかったこと。2人とも両手で身を守ったのは無意識の行動だと思います。あのときは無我夢中だったし、何も覚えてませんから」
― 事故の後、国内外のメディアは羽生の状態ばかりを取り上げていた。自分は蔑ろにされてると感じたか?
「何も気にしてません。とにかく休養と回復に専念するだけだと思っています」
― 今、体の状態は?
「フランスから帰ってきてこの1週間は調整に充てています。体には大きな問題は生じていません。ジャンプをするときに胸のこの辺が痛むけど、じき治ると思います」
― 今年のグランプリシリーズは終わってしまった。シニアに上がって2年目のシーズンはどうだった?
「今シーズンは考えすぎることが多かったです。それに目標も高く設定していたし。シーズン開始前は去年同様ファイナルに進出することを望んでいました。中国杯の演技も去年よりもっと完璧なものを見せたかった。だから残念でなりません」
― でも大丈夫。大事なのはこの後の試合だよ。
「2つのプログラムを完璧に演じるところをお客さんに見せてあげたいです。いい滑りをしたい、きっとできると信じています。目標について口にするのはあまり好きじゃないですが、もしどうしてもと言うことであれば、2つのプログラムでいい演技をしたいです。去年から今年にかけて、ずっと納得のいく演技ができていないので。得点のことはあまり気にしていません。もともと自分が試合で獲得する点数は出来以上の評価をもらっていると感じています。だから今シーズンのプログラムを完璧に演じたら一体どんな得点が出るのか、見てみたいんです。いい滑りが出来たら、実際何位だろうとその順位に満足すると思います。全てパーフェクトに演じられたら、10位であろうと凄く嬉しいです。それが今の自分の実力なら、仕方がないと思えるから。今はまだたくさん伸び代があります。一番いい状態で一番大事な試合に臨めたら嬉しいです」
― 初めてのオリンピックシーズンを経験してどんな部分が成長したと思う?
「実はオリンピックが終わった後、僕もそれを考えてました。でも今の自分にとってそれを考えるのはマイナスかなと思っています。僕は考え過ぎる傾向があるので、これ以上何かを考えるのは性格的に合っていないのかな、と。昨シーズンはそれまでそうだったように、何も考えずにただ戦っていました。今はあれこれ考てしまうせいで、自分がやるべきことの邪魔をしているような気がするんです。中国杯のショートプログラムもそうでした。本当は中国杯の前、練習では調子が凄く良かったんです。この2年間で最高のコンディションだと思えるくらい。でも色々考え過ぎてしまった結果、頭と体のリズムが狂ってショートでミスをしてしまいました」
― みんな年齢と共に考え方が変わっていくからね。
「はい。でも今はまだ、あれこれ考えるとうまくコントロールできないと思っています。今回の2大会は調整と緩衝剤の位置付けとしています。この後、四大陸と世界選手権があります。今の僕にとって四大陸がとても重要な大会になると思います。四大陸でいい滑りが出来たら、ジャッジの心にいい印象を与えることができて、それが世界選手権への布石となりますから。だから引き続き練習に専念して次の大会に向けて準備を進めたいと思っています」
(訳:まくりあ)
原文はこちら
衝突の後、リンクを必死で去ったときのくだり、スピンを回り続けなければいけなかったときのくだり、泣けました
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