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春馬くんの死を悼む中国メディアの記事「故・三浦春馬がいた時間」

2020年、若き才能で将来を嘱望されていた俳優・三浦春馬くんが突然亡くなりました。彼の辿った人生、演じた役を丁寧に紡ぎながら、その悲報を告げた記事をご紹介します。

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逝者 三浦春马存在的时间

2020年07月19日 09:46 新浪新闻综合
http://news.sina.com.cn/w/2020-07-19/doc-iivhuipn3842254.shtml

故・三浦春馬がいた時間

30年。
1990年4月から昨日まで。それが三浦春馬のいた時間だ。

午後1時、東京都港区の自宅クローゼットの中で首を吊り、亡くなっているのが発見された。
数か月前、ギターを弾き語りする姿を収めた動画の背景に、そのクローゼットは映っていた。

満開の桜は散ってしまうがゆえ、花火は一瞬で尽きてしまうがゆえ賞賛されるように、若くして死ぬことは人々を引き付ける。
しかし、三浦春馬の死の上に、本居宣長が提唱した「もののあはれ」の美学を当てはめることは難しい。

つい先日、新作ドラマとシングル曲の宣伝をしていた彼が、共演女優の松岡茉優に「どんなことがあっても、前向きな考えをする方」と評された彼が、こんな風にクローゼットの中で命を絶ってしまった。
日本中が信じられない思いでいるだろう。
今日仕事を入れていた彼は事務所と連絡が取れなくなり、ようやく自宅で発見された。
明日の予定が決まっている人間が、明日が来る前に自らを終わらせる可能性を、人々は想像できまい。

死亡報道が出た後、世間はこぞって三浦春馬が自殺に至った予兆や痕跡を探し始めた。
しかし、この美少年のアカウントには1点の曇りもなかった。
あるのは笑顔ばかり。料理や作品の宣伝が並んでいた。
4月12日にはFacebookに自撮りの写真を載せ、
「笑顔を絶やさないことがみんなの免疫力を維持するんだって」
と、コロナ感染拡大で落ち込む周囲を元気づけた。
6月、7月にはいつも通りの笑顔で、みんなの健康をブログ上で願い、中国の受験生に応援メッセージまで届けてくれた。
「大学受験が終わったみなさん、それ以外の試験を受けたみなさん、お疲れさまでした!みんな、体に気を付けてお休みを楽しんでくださいね!良い結果が出ることも願っています!」

そんな日常から、三浦春馬が突然消えてしまった。

彼が二十歳のときに10年後の自分に宛てて書いた手紙があげられていた。

幸せな日々を過ごしていますか?
大切なものをしっかり抱きしめているでしょうか。
何事も全力で臨んでいる。
そんな人でいてくれたら嬉しいです。
まぁ凄い人でいて下さい。

三浦春馬は常に努力家だった。
15歳の時に出演した映画『Catch a Wave』ではサーファンを覚えた。
『ラスト・シンデレラ』ではプロのBMXライダーを演じるにあたり、BMXの習得に長い時間を費やした。
カメラマンを演じた『東京公園』では、カメラを専門的に学び、ドラマ『真夜中の5分前』の役作りでは、中国語の勉強に加え時計の修理まで学んだ。
その10年間三浦春馬は、間違いなく全力で何事にも立ち向かい、全力で生きていた。

幼いころ、同年代の友達ができなかったため、4歳の三浦春馬は母親に連れられ、芸能事務所の門をたたいた。

7歳の時、NHKの朝ドラでテレビに初登場。このときは、ただオニギリを掴んで食べまくる役だった。
この後は毎年のように新しいドラマに登場した。まだ幼かった彼は、番組のプロデューサーや監督とあまり話すことはなく、何をどう演じたらよいかわからないこともしばしばだった。

『14歳の母』に出演後、三浦春馬は少年らしさを売りにする彼ならではの路線を見出した。
2007年、彼の出世作ともいえる『恋空』に主演、37億円の興行成績を収めた。
幼い恋愛、流産、不治の病を盛り込んだストーリーの中に登場する銀髪の三浦春馬は、新垣結衣以上に存在感を放った。

2011年にはフジテレビの月9『大切なことはすべて君が教えてくれた』に戸田恵梨香とW主演。初の平成生まれの月9主演俳優となり、人気の絶頂を迎えた。
アミューズに移籍した後もたくさんの素晴らしい仕事に巡り合った。

だが長い間、求められるものを求められる通りに演じてきた彼は、近年ようやく台本に自分自身の考えを投影し始めた。
『ラスト・シンデレラ』の劇中で、シンデレラ自体はそれほど重要ではなかった。大切なのは三浦春馬が女性視聴者に自分自身がシンデレラになれると錯覚させたことだ。10歳も年上の篠原涼子と渡り合って以来、彼は純情少年から肉食系の色気を持つ男へ転身することに成功した。このドラマの影響で、三浦春馬は2015年、福士蒼汰と松坂桃李を2位3位に退け、「30代の女性が最も抱かれたい男」の1位となった。

過去に出演した数多くの作品を振り返ってみても、三浦春馬に脆さを感じさせる要素は見つからない。
『女城主直虎』で武士に扮した彼は「生きてさえいれば、転機は来る」と毅然とした表情を見せていた。
日本版ブロードウェーミュージカル『キンキーブーツ』では、化粧をし、ハイヒールを履き、見事に女性になりきり、自信とエナジーに満ち溢れていた。

7月18日午後の報道を受け、彼が主演した『僕のいた時間』を思い起こす人は少なくないだろう。
この架空のストーリーで難病ALSに侵された役を演じた彼は、弱弱しい闘病生活より力強く生き抜く道を選んだ。
彼が演じた澤田 拓人は劇中でこう語っていてた。

僕はみんなに考えてもらいたいんだ。
―自分はなぜ生きているのか?
以前の僕は目標が見つからなかった、人前で自分を演じることがずっと嫌いでたまらなかった。
こないだ友達が1人亡くなった、でも人の死は所詮他人事だった。自分の人生はこの先もずっと続くと信じていたから。
だけど働いて1年目に病気を宣告された。
左手が動かなくなって、物が掴めなくなった。左足も動かなくなった。そのうち右腕も上がらなくなった。歩くことも立つこともできない。飲み込む力も呼吸する力もなくなってきた。このまま病状が悪化して人工呼吸器をつけたら、もう話すこともできなくなる。あらゆる筋肉が動かなくなって、自分の気持ちを伝えることもできなくなったら、それでも生きていると思えるかどうかわからない。
それでも今、僕は病気である事実を受け入れて、短い時間でも生きることを決めたんだ。
歩けなくなり、仕事ができなくなり、病気は僕からたくさんのものを奪っていった。
失うことばかり考えると、怖くてたまらない。だから今の自分にできることだけ考えようと思うんだ。
この決心は病魔でも奪うことはできない。たとえ最後にすべての目標を奪われたとしても、目標に向かって頑張って生きている事実だけは奪うことはできないんだ。
死ぬことは怖い、不安だよ。死ぬ覚悟も、生きる覚悟も、つらい決断だ。でも、病気になって初めて、僕は僕のことが少しだけ好きになったんだ。

二十歳のとき三浦春馬は「紅白歌合戦の審査員になることが夢」だと語っていた。
歌手としてじゃなく、舞台に立つ側じゃなく、審査員です。そんな仕事ができたらカッコいいと思います。

この年、彼は司会の黒柳徹子にこう話していた。
「今、自分には何のプレッシャーもないんです。成人になってお酒も飲めるようになったし、面白い話に加わることもできるようになりました。パスポートも未成年用の青から赤に変えることができます。そしたら有効期限もたっぷり10年間に延びます。」

彼のパスポートはおそらく今年、期限切れを迎えることだろう。

(訳:まくりあ)

原文はこちら


※純粋に中国の記事をそのまま和訳しました。
劇中のセリフなど、正確な日本語は実際の映画/ドラマでご確認くださいませ。
筆者の主観が入り混じる内容でしたが、日本とは視点の違った記事なので、訳してみました。

春馬くん。
大好きでした。ほんとに。
今でもつらい、まだ信じられない。
新作MVの流れたMステーションも観られませんでしたし、9月開始のドラマも直視できるかわかりません。

これから叶えたい夢もたくさんあったでしょうし。
今は無理だと思えても、長い人生、時期をやり過ごせばまたチャンスは巡ってきたかもしれないのに。
この決断で、彼が最も守りたかった何かが、大切に守られたのだと信じるしかないです。

ただ。
感謝と哀悼の意を表するまで、もう少し時間がかかりそうです。

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